なぜ30代を過ぎて、私はまた海外に住んでいるのか。
「ふつうの海外旅行に飽きた。」
もちろん私より海外に多く言っている人も大勢いるのでこんな事を言うのは甚だしいですが、社会人になり社会人をしていたらそれなりにお金にも余裕が出る。自分への物欲も人より無い方なので、ものに使わない分お金が旅行か人へのプレゼント、食べる楽しみに残る。
会社の休みを見つけては海外旅行に行く機会が増えたのですが、20代後半になるに連れ私は気づいていた。楽しみが半減している、と。それは昔なら美しい景色や美術館を実際に見れる事がとても嬉しかったし、今も確かに嬉しいがSNSが普及しはじめて観る景色もそんなに珍しくなくなり、なんならスマートフォンが出てきてから海外で道を尋ねる事もなくなりました。diversity・異文化にふれる機会がない。
観光して、美味しいもの食べて帰る。
とても有り難い事なのですが、、、、飽きてしまいました。
"飽きた"というのは、もちろん単純に数日で目的地に行って帰ってくるという作業にです。
道をわからなかったら現地の人に聞いて、予定したところと違うところにいったり、目的地を違う素敵なところを見つけたり、大変な目にあったり。。。現地の人と国について語ったり。。。そんなアナログな旅行が好きだったし、異文化にもっと触れたい。異文化に触れ、自分の常識が覆される瞬間がたまらなく好きなのです。
旅行では、異文化に触れているようで全く触れていない。
それが私には物足りないのだと20代の後半に気づき始めました。
その後は海外に行く前に現地の勉強会やワークショップに参加してみたり、現地を極力感じられるような場所にいってみたり。
異文化に触れたい。
そんな訳で私はまた海外で住んでみております。
良い事も悪い事も探せばきりがないですが、海外に出れば出る程日本を好きになり必ず日本に帰ると思っているのにまだ帰らない理由はDiversity・異文化に触れる機会が極端に少ないからです。
EMBRACE THE DIVERSITY(多様性)!
アルバイト先、日系レストランからみてふと感じたオーストラリアとカナダの違い
完全に個人の主観ではありますが、、、
日系レストランで働くという1つの事にしても同じ英語圏でも違いが沢山ある。
オーストラリア人は断然にお箸をつかえる人が多い。
基本お箸を置いていて必要な人にはナイフ&フォークを出す。
カナダでは全く逆でそもそもお箸を使える人がすくないからナイフ&フォークがデフォルトです。
緑茶をそのまま飲めるのもオーストラリア人が多い。カナダではほとんどの人が「砂糖ください」と緑茶に砂糖を入れて、私からみれば邪道の飲み方をしていました。
注文の仕方は断然にカナダ人がとても丁寧な英語をつかいます。
逃げたらあかん。
創業について、全くのゼロからの状態で少しずつ形になり初めた時の嬉しさは一塩。ですが、その嬉しさは一瞬のもので、そのタイミングでどんどん良いもの、どんどんビジネスとしてきちんと動かしていく為に競合他社の調査をする。すればする程、自分のアイデアがいかに平凡で、すでに多くの競合他社がずーーーーーーーーーーーと先を言っていて、資金もなく経験もない自分では到底追いつけないし、だからと言ってそのギャップを埋めるべく素晴らしいアイデアが浮かぶ分けでもない。
コンテンツのアイデアについて自分の凡人さに腹が立つ。なんでこんなアイデアが枯渇した凡人なんだ、と。
そんな特にカナダで友人が言ってくれた言葉を思い出す。
「Negative doesn't support you. Be positive.」
マイナスに考えても意味はない、プラスに考えて今できる事をやってみよう。
泣いても、前には全く進んでない。だからそんな時間があるなら1つでも手を動かそう。
自分に強みがあるとしたら、「誰かの為」と思って行動する時は誰よりも強いはずだ。今は、守りたい仲間がいるのだ。
どう転んでも、後悔しないように、させないように
逃げたらあかん。
踏ん張れーーーーーーーーーーーーーー!!!!
大切な仲間ができる喜び、そして、のしかかる重圧。(涙)
1人で初めたプラットフォームに仲間ができる。こんなに嬉しい事はない。
ましてや、資金が潤沢になく満足に費用なども払えない状態で「何か手伝いたい」と言ってくれる人がいる、それだけで心が揺さぶられ、こんなに 震える程嬉しい事はないと思います。頑張れる。
この数ヶ月で「応援してるよ」という言葉が本当にどれだけ心強い言葉なのかと気がついた。こんな何もない状態に手伝ってくれると言ってくれた人達だからこそ、私は一生をかけて守りたいしお返しがしたい。本当に強く思う。
それと同時に、、、
1人でした時とは違い、仲間を守らればと思うほど勢いのあった自分のパッションが身を潜めはじめている。
みんなに...「迷惑をかけたくない」
みんなに...「時間をかけてしまいたくない」
みんなを...「失敗してはいけない」
みんなの為に...「成功させないといけない」
みんなから...「うまく纏めてないと思われたらどうしよう」etc...
全員を完璧に幸せにすることなど到底難しい事であるし、そもそも今回の揃ってくれたメンバーにはそんな事一言も言われていない。でも、しんどい思いはさせたくないのです。元々大事な友人たちなので揉めたくもないのです。こんな事を書きながら、まだまだ本当に30代を過ぎた社会人としてもマネージメント力が無く、あかんなぁと思います。
自分の小さな頭と心のキャパシティが心配ごとのサイクルで埋め尽くされていく。負の思考で頭がいっぱいになってしまうと行動に影響し、行動に影響すると習慣に影響し、今目の前にやらないといけない事が山程あるはずなのに、、、、
手が止まってしまっている。
DO WHAT YOU LOVE(自分の好きなことをする)
そこに仲間が来てくれた時に、わたしは彼女達のwhat they love(彼女たちの好きなこと)は満たしてあげられているのかな。
自己満足につきあわせてしまっている。そんな気がしている。
この気持ちも記録。
感謝、創業に伴う仲間編。ラブレター。
12月のイベントには本当に多くの方に助けていただきました。この話はどんなにしつこいと言われようが何千回でも言いたいし、言います。感謝しかありません。本当にありがとうございます。
そして、それと同じように今回まだWEBサイトを11月に立ち上げてから約3ヶ月。すでにとても大変ながら更に有り難い事がある。それは、何もないこの種の状態で「何か手伝いたい」と言ってくれた人たちの存在だ。事業が大きくなれば「手伝いたい」という人はもちろん出てくるだろう。ただ、この状態で手をあげてくれた人たち。そして実際に形にしてくれた人たち。私はこの人達には一生頭が上がらないし、私の一生をかけて何があっても守っていく、ともう決めている。
1人目はシドニー在住UXデザイナーのけんさん、
WEBサイトのことで相談したり、ロゴを作ってくださった。作成の時からあまりにも未知にもかかわらず、こだわりが捨てられず迷惑をかけている私に、「ロゴはいつでも変えられるけど、想いをきちんと込めると必ず良いものになるから」と根気よく私の意見を聞いてくださり反映してくださった。出来た時の達成感は本当に計り知れなかったです。色も、形も、意味も、想いもすべてこめられました。本当にけんさん、ありがとう。
2人目はバンコク在住のコピーライターのみさきさん、
「こんな事したいと思ってる」と話したら、きみさんがやるなら何か手伝いたい!と更に「何か手伝いたいけど、何が手伝えるかわからないから直接いってください。」と続けてプッシュしてくれて本当にありがとう。その後、お言葉甘えてみーさんに纏めてもらったWEBサイトの日本語は本当に見違えるような日本語になりました。特にPASSIONの部分の「急に寝る前にひらめいたんです。きみさんが言いたい事がこういう事ですね!」とその文章をみた時は泣いてしまいました。あなたは本当にいつも行動力があって、しっかりしていていつも本当にありがとう。
3人目は京都在住の川辺さん、
「手伝いたい」と言ってくれてからすぐに「自分ができる事がこんなです」と具体例を出してくれましたね。一番初めてのアンケートではどんな質問をとればよいのかも、どんなコンセプトに絞るのかも自信がなくてまとまらない私も、情熱だけで突き進もうとする私も「そのままでいてください。やりますから。」と言ってくれましたね。すごく立ち上げで不安だったので支えられました。本当にありがとう。
そして、
4人目はブリスベン在住の陽子。
「実はこんな事しようと思う」とアイデアを話した時から、イベント前もイベント後もいつも応援の連絡をくれていましたね。その都度できることないかいつも確認してくれて、応援してくれてるのすごく感じてたよ。そして、年始に陽子が私に会いにシドニーに来てくれると言った時、実はもう陽子が手伝いにきてくれようとしてるのがわかりました。ただ、12月のイベント前の私はどこにいくのかもわからない船に協力を依頼するのも迷惑をかけるのも嫌で気づかないふりをしていました。手伝ってほしいという自信がなかったよ....。ただ、シドニーであなたの顔をみて、一瞬で一緒にやりたい!と想いました。そして、覚悟をきめました。絶対後悔させないように頑張る、と。本当にありがとう。
本当にありがとうございます。
それ以外にも手伝ってくださった方々にももちろん感謝しているのですが、立ち上げにいたっては特に感謝している4人です。時間も手間もかけている4人。
一生をかけても絶対に、この御恩は返していきます。
そして、本当にこのような人に支えられてまだこの約3ヶ月という期間ですが、過ごせている事をこの上なく幸せに思っています。私は幸せものです。この約3ヶ月の体験ができただけでも本当に挑戦してみてよかったと思っています。
本当にこんな便りもない私ですが、
一緒に挑戦しようとしてくれてありがとう。
人は「いつも自信満々ですね。」という。その反対です。
WEBサイトを創業した昨年は、ここ数十年で一番多く泣いた一年だった。悔しさと、不甲斐なさと、怖さとで何度も何度も泣いた。
覚悟を決めて30を過ぎてきた海外だったので、「何か形にしないと、何か残さないと、」と。睡眠・食事以外の時間はアルバイトもしくはパソコンにかじりつき、少ない脳みその知恵を絞ってアイデアを絞りだす。やってもやっても、やらなければいけない事が追いつかない。やればやるほど、やらなければならない事がみえてくる。寝食問わずとはまさにこの事だ。WEBサイトの構成を考えては試し、慣れないホームページ作成ツールを触りトライアンドエラーする日。WEBサイトに関する言葉すらすべてが初めてでインターネットで調べながら対応する日々。1つ反映できれば、1つがぐちゃぐちゃになる。
周りからみえれば生き急ぎすぎて「ちょっと休みなよ」「頑張りすぎないように」と多々言われる日が続きながら、有り難い事とわかりながらもそれがとてもしんどかった。
「今頑張らないでいつ頑張るの?」と、器用でない自分が唯一できるのは一生懸命に全力で向かうのみ。自分で自分の首を締めて、どんどん泡が吹きそうになる。でも、諦めることができないのです。シドニーのピアモントブリッチの真ん中で自分の出来の悪さに号泣したり、ビジネスクラスの授業に「こんな事やったって意味がない」と落ち込みすぎて号泣しても、足を止めることができないのです。まだやりきってない。死ぬ気でやりきってない。
人には極力明るく元気な自分でいたいし、心配をかけて迷惑もかけたくもないので基本1.5割増しくらいのテンションでいる事にしている。人によっては「いつも自信満々ですごいね」と言われる。そんな訳あるわけない。そんな事とは全く逆で自分に自信なんて全くない。だからいつも不安で、よく泣いている。自信なんてないけど、でも言い訳してやらない理由を見つけるのはもっと嫌なんです。やってもないのに、文句垂れたくないんです。ただそれだけです。
自信なんてないです。でも、自信をつけたいから諦められないのです。
芽にもならない種の状態へご協力頂いた恩、御恩は必ず返します。
12月17日、WEBサイトを創業して初めてのイベントが終了しました。そのイベントには、主催協力3団体、後援企業2団体、協賛企業2社いただき、参加者約70名弱を動員し恵まれた形で大盛況に終わる事ができました。このイベントの成功にはご協力企業様、ご協力頂いた人々のお力無しでは叶える事ができませんでした。
このイベントで協力してくださった団体様は、全て「こんな事がやってみたいんです。」という名もない、芽にすらならない想いを汲み取ってくださった方々ばかりです。この方々への感謝の気持ちを述べようとすると本当に目頭が熱くなる。
名だたる企業ばかりが並び、自分でも神様のご加護としかいいようのない幸運な事だと実感している。神戸にこのような、小さな種も救いあげようとしてくれる企業があること、人がいることを改めて深く感謝しとても温かい気持ちになる。
そして、イベントが終了し、この余韻にひたる間もなく次を目指して進めなければならない。これは、事業を早く大きくしたい。という気持ちよりも、このように協力してくださった企業様に早く御恩が返したいという気持ちだからです。早く、少しでも事業が多くなり、恩返しがしたい。
大きく、有名な企業になれば協賛や協力も得ることは容易いだろう。そうなれば多くの人から声もかけられるだろう。だから、こそ芽にもなっていない、こんな土にまだ眠っていたような種の「このちっぽけな状態」の私に協力してくださった人々・企業様を私は絶対に忘れない。
この御恩を返す為に私は今日諦めてはいけない。
必ずこの御恩は返します。
そして、
2019年11月末、日本でのイベント前のシドニーでのビジネスピッチ。
2019年の11月末のターム最後のビジネスピッチでは無念の落選。
12月で予定しているイベントへ向けて何か良いニュースをもって帰りたいと本腰を入れてプレゼン資料を用意した。イベントの集客や準備も合わせて、資料を用意するのは大変だった。今、思ってもイベントを企画した9月のはじめから、イベントの告知の11月初めまでは仕事してるか学校にいってるか、帰って起業の準備ばかりでした。
不思議なもので時間にして1日12時間くらいはビジネスアイデアを練ったり、プレゼンの仕方を調べたり、資料の作成方法を調べたり、、、クライマーズ・ハイのような状態で、「あんまり無理しないように、頑張りすぎないように」と言われる事が結構難しく、苦痛でもあった。
自分としては、「今、この時に頑張らないでいつやるの」と頑張りきりたい気持ちだったからです。
結果、無念の落選。しかも、「言葉の問題もあるのだろうけど。」と英語についての指摘も受け、落ち込む。
「Today, we still have problem for women. The problem is this ....」で続けたプレゼンだったのですが、「女性はproblemではない」から表現を変えなさい、と。
たかが学校のプレゼン、されどプレゼン。とても悔しかった。
別のクラスメイトが選ばれた事をクラスの授業中に発表され、落ち込みを隠せなかった。
クラスでも気づかれないように泣いて、学校が終わってからも残って号泣しました。
やっぱり本気でやったら悔しいし、落ち込みます。
誰もみてなくても「創業は創業。」精神の崩壊しかけ、からの復活。
「起業します。」
誰もみてなくても、自分ではものすごく魂や想いを込めて活動していると思います。
なので、その最中はこころがとても強くもあり、そしてすごく脆くもある。毎日の中にどちらもの自分がいる。
今日はプレッシャーが勝った日。プレッシャーで学校の間、終わった後、1人で号泣しまくりでした。
「何かあったら何でもいってね」といってくださる人の言葉に気持ちが救われる反面、何を助けてもらっていいのか、何を助けてもらってはいけないのか、一体何がなんだか自分で自分の事がわからない。
こういう時に経験者に話をすると驚くほど、話がすぐに通じるし、経験者からの言葉で自分の辿る気持ちの波も通常なんだと思わせてくれる。パニックに陥っている自分を冷静にみて、経験者の目からアドバイスを頂く。
やはり人生には、スポーツでも会社でも何でも「先輩」の存在ってすごく絶大です。
はじめてのコーチングセッション
本日よりコーチングを開始いたしました。
学校の授業とは別に1ヶ月に2回、1時間のテレビ電話でセッションをうけるという者です。今日は先生と、
・「どういう事をビジネスで成し遂げたいのか」(WHY)の部分の再確認、
・今の自分が持っているツールの現状、
・そのツールの中で何を発展させる事ができるか
を達成したいゴールを意識しながら今の時点からでもできる事について話し合いました。私の「女性活躍推進」というビジネスモデルだと、行政や企業からのファンディング、online course等の参加費用等での収益を将来的に意識しながら、今できる事は同じように「何かしたいけど何ができるかわからない」と感じている人たちを集める事です。
私の今ある、WEBサイト、その他SNSで可能な事。
・すでにご活躍されているビジネスウーマンのインタビュー記事を載せる
(文章もしくは動画)
・inspiringな名言を公開する(FB,instagram)
・ブログ等で自分の創業準備中の内容を公開する
・PR活動に力をいれる
特にはじめの12ヶ月はコツコツとビジネスの礎を気づいていくようにとのご助言でした。
何より、「コーチングって何故必要なの?」と思っていた私ですが、この自分の精神面でも成長中であり、一喜一憂が激しい創業時に冷静に話を聞いてもらえて過程をしってもらえるという存在がいるだけでとても心強いとすでに実感しています。
同じように悩んでいる人がいたとしたら1人で悩まないでください。
だれに相談していいのかわからないという人はまずは身近な友人に相談してみてください。話を聞いてもらえるだけで救われます。
少しビジネスのカタチやアイデアが固まってきたという人はプロやその道ですでに前を言っている人に相談してみてください。
あなたの状況をきっとすでに経験されていて、状況をすぐに理解してもらえやすいですし、経験者と話すだけで自分の頭の中のごちゃごちゃごちゃが少し整理されていきます。
そんな事を感じた第1回目のコーチングセッションでした。
2019.11.6
助けて頂くありがたみと、それに答えねばと思うプレッシャー
創業時は何も資金がなく、むしろ自分のお金を切り崩してカタチにすることがほぼだと思います。
WEBサイトの構築、その他の諸々、そして日々を生きる。全てお金がかかります。
特にビジネスをお披露目する為のイベント等を開催する際は、開催コストが多くかかってしまいます。特に金銭的に自分の所で事前に余裕がない場合は参加費用を頂戴しての開催となりますが、集客できない場合はすべての費用を自分がかぶる事になりますし、創業当時のリスク前提で金銭で自分がカバーする!という意気込みのもと自分だけでイベントを開催しても長くは続きません。創業当日は私のように恐らく実際の家計を他の仕事で立てながら、プライベートの時間で創業に勤しむという努力をされていると思いますのでイベントの開催はとても気力がいります。自主イベント開催にあたって、少しでもリスクヘッジをする為に、「なぜ?このイベントをしたいのか」「このイベントをして何を届けたいのか」という説明をして、同じような想いのある方々にご賛同頂き、ご協力頂く事になります。実際にイベントの開催・運営には多くの方々の助けがとても必要です
ですが、共催、協賛、後援が増えるに連れ、こんな小さなビジネスのアイデアに救いの手を伸ばしてくださった方々に何かお返ししないとという責任と期待にお答えしたいといういプレッシャーに押し潰れそうになる事もあります。そして、その皆様に気持ちよく過ごして頂きたいと思うばかりに、自分のパッションはどこだったのか、自分の希望は何だったのか、伝える事もできなくなる場合があります。
「助けてください」ということもとても勇気がいりますが、助けて頂く事が増えてからもプレッシャーがどんどん大きくなります。
そんな時、やはり振り返りたいのは「WHY(なぜ?)」の部分です。どんな想いがあって、「何故?自分はカタチにしたかったのか」という原点に戻ると不思議と少し元気になれる、そしてその想いに強くなれる気がします。
頑なに助けてくださっている方々に頑固になりすぎて、迷惑をかけてしまう事はいけませんが、「なぜやりたかったのか。」この自分のシンプルな気持ちに返ってみて、イベント自体が違う方向に向かっている場合は軌道修正が必要です。
自分の信念の部分に立ち返り、そして実現する為に少し強くなる事も必要だと感じた今でございます。
シドニーに来て本日で丸1年が立ちました。
早いもので今日でシドニーに来て1年が立ちました。
シドニーでの生活が未知数で想像がつかなくて、不安に思いながらいろんな選択肢と葛藤しながら最終的に来ると決断し渡豪しました。シドニーでの生活にワクワク期待を寄せる気持ちと、この選択が間違っていたらどうしようと複雑な思いで日本を出発したことを思い出します。
シドニーには3つの目的を持ってきました。(やはり20代の時と違って、30代は少ししっかりしているというのか、20代よりも事前に吸収したいものを考えてました。笑)
1つは前職のインバウンド関連の仕事の経験から、シドニーから日本をみてみたい。オーストラリアで生の外国人に出逢って、日本の外からアウトバウンドをみてみるというのが1つ目の大きな目的です。インバウンドのセミナーを開催しながら「日本人だけで、日本語で、日本人のアイデア」で意見交換していることに年々違和感を感じることが増え、以前少しですがカナダに住んだことがあり、その経験とも照らし合わせると「これ本当に外国人が必要と思ってる???」とギャップを感じるようになったからです。実際に日本にくる外国人が日本のことをどう思っていて、どのような所が好きで、どのような所が好きでないのかをきちんと自分の目で観たかったです。
2つめは、ライフワークバランス先進国とされるオーストラリア人の人生を楽しみながら働く働き方、彼らの考え方、何を大切に思い、どのように効率良く働いているのかを知りたかったです。全部を持ってかえることは難しいかもしれないですが、少しでもその働き方の良い部分のアイデアを日本にもって帰って、少しでも日本の人が楽しく生き甲斐を持って働けるようになればと思いました。特に日本での行き帰りの通勤電車の人々の顔をみると、すごく皆疲れた顔をしているので改善できれば嬉しいなと感じていました。同じ地球に同じ人間として生まれてきたので出来ないことはない。幸い、私はどんなに体力的にしんどくても、仕事が大好きだったので帰りの電車でも「仕事が大好き、会社が大好き」と思いながら帰れていることにいつも感謝していました。
そして、3つ目。それはシドニーの女性の社会進出や女性の家庭と仕事の働き方、それを支える社会のサポートの仕方をみたかったのです。日本ではまだ女性が出産・結婚をするとキャリアを少なくとも中断せねばなりません。産休・育休も全ての環境で整っているわけではありません。私にはどうしても頭を悩ませる問題なのですが、海外の方は妊婦姿でも活発に仕事しているのを知っていたのでこの実情や解釈の仕方に直接触れてみたかったのです。
この3点の目的は道なかばですが経験することができました。まず1年の目的完了!
少しホッとしています。
私は、33歳でシドニーに来るという決断をしました。これは結構勇気が入りました。というのも、私は小さい時から相当に好きに選択させてもらっていて、いつも「自分の好きなことしい。何かあれば戻ってきたらいいから」と家族に言われて育ってきました。なので、何かあったら戻ればいいと20代は本当に好き放題に自分でいつも決断してきたので基本的に失敗と言われるような状況になっても、納得した上で選択しているので基本後悔することがなかったです。ですが、今回は年齢のこともあってか初めて家族に反対されました。それは人生初めての経験でそれくらいこの30前後という年齢がいかに大事な年齢であるかと考えさせられました。そして、たしかに「年齢なんか関係ない」と挑戦することは大事ですが女性においてはこの30歳前後では一度きちんと自分自身の選択を深堀りすることは大切です。なぜなら生物学的に出産などに影響をしてくるからです。
総じて、他にも悩むことはありましたがひっくるめて約1年かけて答えを出してシドニーにきたのですが、結果やはり来て本当に良かったです!
もちろん、この一年は反対を押し切ってきた上に、もう一度社会人もしている為、「何か結果を残さねば日本に帰れない」と特に前半は24時間フル活動で仕事に邁進しました。自分への投資だと思って、学べることにはお金も惜しみなく使いました。傍からみれば不器用すぎて、辛いことの方が実際に多かったかもしれないです。でも、不器用すぎて全力で生きること以外方法がわからなかったです。それでも、シドニーでの生活は有限だから限りなく全力で生きよう!と仕事に邁進し、またシドニーならではの環境や遊びにも全力で過ごしました。
英語がわからくて泣いたり、何も理解してないと言われ泣いたり、人種差別のようなことをされて落ち込んだりもしました。。。
その10倍、ダイバーシティに触れマインドが大きくなる瞬間もたくさんありました。
結果、たくましく日本で過ごす3年分くらいは成長できたはずです。(多分、この1年常に口内炎かヘルペスが出来ていたの体調は常に悪かったと思いますが笑)
この一年の自分にひとまず「お疲れ様」と言ってあげたいです。
そして、
日系WEBメディア、ローカルIT企業、ビジネススクール、多国籍レストランSOKYO...
それ以外でもお世話になった全ての方々に感謝しかないです。
本当に有難うございます。
2019年10月23日(水)
フラストレーション。「起業します。」に続く、気持ちの苦しみ。
創業準備中というのは、自分のアイデアで気分が嬉しくなったり、こんなアイデアなんて誰にも相手にされず赤っ恥を書くだけとすごく自信をなくしたり、気分の上げ下げがジェットコースターのように激しいです。
フラストレーションの時期に入りました。常に何かに急いでいて、焦っていて、やらないといけない事、やりたい事、理想と現実のギャップ。常にイライラしているようで、そんな自分に腹が立って、「自分、何をしているんだろう。」と。
そして、特に自分の頭だけのアイデアで済んでいた想いや空想は、「起業します。」と口にした瞬間から、自分の頭の中を飛び抜けて人にも伝える技術が必要になってきます。カタチのない夢をカタチにする作業は、簡単にみえてとても大変な作業だという事に気が付きました。
SURVEY調査、ペルソナの設定、カスタマージャーニーの作成、1つ1つ新しくしった言葉も多いですが、自分の夢をきちんとした現実の世界へ産み落とす大切な作業だと思います。必要な工程だと思います。
ただ。ただ〜〜〜〜〜〜
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(泣)
だめだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
今日は何もかもが面倒になり、何もかもがしんどくなって、目の前にやらないといけない事がたくさんあるのに。手が動かない。頭ではわかっていても、脳が動かない。
自分の小さなキャパシティに心と脳みそがついていっていないのでしょう。
シドニーにまできて挑戦したい気持ちと、シドニーまできて苦しみながら誰も目にも触れない相手にもしてくれないサービスを考えて夜な夜な作ってって私一体何してるん?こんな事して意味あるん?と落ちこんでしまいます。
あーーーーーーーー。
だめだーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
こんなんやったって誰も気にしない所か、こんなんやって何したいんやろね?と影口言われるんじゃないか。言われたくない。等
先生もごめんなさい。
授業中ペルソナも、カスタマージャーニーも全く手が動かなかったです。。。
今日はほんとうにごめんなさい。
ものすごくネガティヴ日記です。